- デュレーション
- 北軍の軍団はマクレランからの指示もないままに行動していたので、リッチモンド・ヨーク川鉄道のサベイジ駅近くの陣地まで動き、ホワイトオーク湿地当たりを通る難しい行軍の準備をした。マグルーダーはこの駅で北軍の後衛にぶつかっていった。マグルーダーは攻撃を組み立てるのが遅かったが、午後の半ばまでに北軍のサムナーの軍団とボールディ・スミスの師団に対する攻撃ができた。この時点でジャクソン隊の支援が得られると期待していたが、この方面作戦で3度目となるジャクソン隊の遅延が起こった。ジャクソンは29日の1日を部隊の休息に使い、近くに渡河地点があったにも拘わらず、チカホミニー川に架かる橋を再建していた。マグルーダーの攻撃は撃退され、北軍軍団は逃亡できたが、不動産投資 にジャクソン隊の遅延が原因だった。6月30日の正午までに、ポトマック軍全軍がホワイトオーク湿地を通り抜けたが、撤退に統制が取れていなかったので、グレンデイルで糞詰まりになった。 北軍のフランクリンが指揮する後衛はくりっく365 を渡るところでジャクソン師団の動きを止め、砲火の応酬となった。一方主戦場はさらに2マイル (3 km)南のグレンデイルで起こっていた。ワラント 湿地の戦いはしばしばグレンデイルの戦いの一部と考えられている。 リーは、ホワイトオーク湿地とフレイザー農園にある交差路との間で糞詰まりになっていた北軍に対して攻撃を集中させるよう命じた。フレイザー農園はもう一つの戦闘名にもなっている。リーの作戦は再度うまく実行されなかった。フーガー隊はチャールズ市道路にあった障害物によって進軍を遅らされ、戦闘に加われなかった。マグルーダー隊は優柔不断な行軍を行って結果的にホームズ隊と合流し、マルバーンヒルにいたポーター隊への攻撃は失敗した。ジャクソンは再度緩り動いてその日1日を川の北で過ごし、川を渉ってフランクリン隊を攻めたのも力の無いものだった(ホワイトオーク湿地の戦い)。リー、ロングストリートおよびそこを訪れていたジェファーソン・デイヴィス大統領は馬の背で戦いを観察していたが、激しい砲火が襲ってきて、一行の中で2人が負傷し、3頭の馬が殺されたときに撤退した。この後退のために、A・P・ヒルとロングストリートの部隊だけが戦闘に参加することになった。ロングストリートは戦争の残り期間彼を有名にすることになった戦力の集中という方法を採らず、バラバラに旅団を送るという方法を採ったので、戦果ははかばかしくなかった。この部隊は北軍ジョージ・マコールの師団を攻撃して後退させたが、その先鋒も北軍の支援部隊に直ぐに止められた。マコールはこの戦闘中に捕虜になった。ミード、サムナー、アンダーソン、フェザーストンおよびペンダーは負傷した。リーは、北軍が川の安全地帯に逃げ込む前にマクレラン軍を捕まえる機会があと一度あるのみとなった。 七日間の戦いの最後の戦闘は、北軍が初めて都合の良い陣地で戦ったものになった。マルバーンヒルは見通しが良く、大砲を据えるのに適していた。北に開けた野原は、マクレラン軍の砲兵隊長ヘンリー・J・ハント大佐によって据えられた250門の大砲からの砲火で隈無く攻撃できた。 これは戦争では無かった。殺人だった。 ?D・H・ヒル少将 その広がりの向こうの地形は湿地と鬱蒼たる森だった。リーはその陣地の側面を衝くよりも、自軍の大砲が歩兵の攻撃のための道を切り開くことを期待して、直接正面から攻撃させた(これは翌年のゲティスバーグの戦いにおけるピケットの突撃と同じような計算違いだった)。北軍の大砲は据えられた場所が良くまた熟練度も高かったので、その対砲兵射撃で南軍の多くの大砲を使えなくした。リーはその攻撃命令を一旦取り消し、その午後遅くに北軍の動きを観察して、北軍が撤退しつつあると考え、再度攻撃を命じた。その攻撃はうまく制御されておらず、D・H・ヒル、ジャクソン、最後にフーガーと別々の攻撃で散発となった。A・P・ヒル隊とロングストリート隊は外為 されなかった。マクレランが居ない間、丘の上で上級士官となったポーターの隊は容易に攻撃を斥けた。リー軍は、この消耗戦で5,000名以上の損失(北軍は3,200名)を負い、リッチモンドへ後退した。一方北軍はハリソンズバーグへの撤退を完了した。 七日間の戦いで半島方面作戦は終わった。ポトマック軍はウィリアム・ヘンリー・ハリソンの生地、バークリー・プランテーション周辺で宿営した。その背後はジェイムズ川であり、砲艦で守られていたが、暑さ、湿気および病気によって損失を出した。8月、エイブラハム・リンカーン大統領の命令で北バージニア方面作戦と第二次ブルランの戦いの時にバージニア軍を支援するために呼び戻された。 両軍共に損失は大きかった。リーの北バージニア軍は、七日間の戦いに投入した総計9万名以上のうち、約20,000名の損失(戦死3,494名、負傷15,758名、不明または捕虜952名)を出した。マクレラン軍の報告では総勢105,445名のうち、約16,000名の損失(戦死1,734名、負傷8,062名、不明または捕虜6,053名)を出した。南軍はその勝利にも拘わらず、その損失によって動揺させられた。 七日間の戦いの影響は大きかった。外為 の早期終結を予告して半島に渡った初期は好調だったが、マクレランの後退によって北軍の士気は潰れた。重い損失とリーや将軍達の戦術的にまずい行動にも拘わらず、南軍の士気は急上昇し、リーにとっては第二次ブルランの戦いからメリーランド方面作戦に至る攻撃的な戦略を続ける励みとなった。マクレランが以前任命されていた北軍の総司令官職は3月以降空席となっており、7月11日にヘンリー・ハレック少将に置き換えられた。ただし、マクレランはポトマック軍の指揮官に留まった。リーは自軍の再編で部下達の功績に応え、ホームズとマグルーダーはバージニア軍から外された。 ニューマーケットの戦いニューマーケットのたたかい、英:Battle of New Market)は、南北戦争で1864年のバレー方面作戦の1864年5月15日、バージニア州シェナンドー郡で行われた戦いである。バージニア士官学校の士官候補生部隊が南軍と共に戦い、北軍フランツ・シーゲル少将の部隊をシェナンドー渓谷から追い出すことになった。 1864年春、ユリシーズ・グラント中将は南軍を降伏に追い込むために考えた大きな戦略にそって行動を開始した。グラントは、「私の最大の使命は...南軍が内陸の前線でもはや何も利点をもてないように圧力を与えることである」と判断した。戦略的に重要で農業資源の豊富なシェナンドー渓谷を抑えることがグラント将軍の作戦の要だった。バージニア州の東部でロバート・E・リー将軍の北バージニア軍と対抗する一方で、フランツ・シーゲル少将の10,000名の軍隊にはシェナンドー渓谷を確保してリー軍の側面を脅かすよう命令し、1864年のバレー方面作戦が始まった。 南軍のジョン・ブレッキンリッジ少将は、北軍がシェナンドー渓谷に入ってきたという報せを受け取り、その脅威を排除するためにあらゆる利用可能な部隊を結集させた。バージニア士官学校の士官候補生部隊はその半分以上が1年生であり、「ラッツ」と呼ばれたが、ブレッキンリッジの4,500名の古参兵からなる部隊に招集された。士官学校校長のスコット・シップ中佐に率いられた士官候補生たちは4日間で80マイル (130 km)を行軍し、ブレッキンリッジ将軍の南軍に合流した。士官候補生は予備役と考えられており、最も急を要する場合にのみ戦闘に駆り出されることになっていた。2つの部隊は1864年5月15日バージニア州ニューマーケットで合流した。好戦的なブレッキンリッジは、「私はあいつに向かっていく。我々は彼らを攻撃し打ち負かすことができるし、我々がそれをやるのだ!」と宣言した。士官候補生の側を馬で乗り過ぎるときに「紳士諸君、私はあなた達の今日の従軍を必要とはしないと思う。しかし必要とするときはあなた達がその任務を果たしてくれることも分かっている」と叫んだ。 土砂降りの雨の中で南軍が南から前進を始めると町の中に置かれた北軍の大砲が南軍の前線に向けて発砲された。南軍歩兵部隊は町の西に配置されていた北軍散兵を払い除け、ジェイコブとサラ・ブッショングが所有する農園の北の尾根にそって陣を構えた北軍からライフル銃の射程内まで前進した。 士官候補生ジョン・ハワードは、ひどく傷ついた南軍の士官が側に横たわりながらその剣を振って灰色の前線(南軍兵)に前進を鼓舞しているのを見た。「また砲弾が爆発して、彼は倒れた。2度目だった。...剣を振ることが他の誰かにどれだけ影響するか私は分からないが、嵐の中を前進してきて、後退という道はないことは分かった」 士官候補生ギデオン・ダベンポートは「ひっきりなしに我々の周りで砲弾が炸裂した。そのうちの一つが我々の連隊旗を直撃した。...この頃に我々は一群の負傷した兵士の横を通ると彼らは我々を元気付けたが、我々を目掛けてきた砲弾が彼らの間で爆発し、彼らは沈黙した。突然前方に隙間ができた。我々の隊列にも隙間ができ、キャベル曹長、兵卒のホイールライト、クロケットおよびジョーンズが倒れて死に、他の者は負傷した。隙間は即座に埋められ、戦列は最良の状態で前進した。これ以上良いものはできそうになかった。」と回想した。士官候補生たちはまだ予備戦線にいたが、A中隊とB中隊が右手に、C中隊とD中隊が左手にブッショングの農家の周りを行軍する時に分かれなければならなかった。 南軍の前線はジェイコブ・ブッショングの果樹園と小麦畑を分離するレールフェンスで停止した。北軍のマスケット銃と大砲の集中砲火を浴びて、第51および第30バージニア歩兵連隊の右手と第62バージニア歩兵連隊の左手が崩壊した。シーゲルは南軍前線の混乱に乗じ攻撃を命令した。ブレッキンリッジはその前線の中央350フィート (100 m)の隙間を直ぐに埋めなければ戦線を放棄するしかないと理解した。参謀の一人がまだ使っていない士官候補生部隊の投入を提案した。「それはやらないつもりだ」とブレッキンリッジは答えた。「将軍、選択の余地は無い」と絶望感を覚えている士官が応じた。「彼らを前線に出せ」とブレッキンリッジは命じ、「この命令を神が許されますように」と付け加えた。